藤のルーツ 第8回

東洋への宣教活動

前回は、初代教会の遭遇した迫害についてでした。その後、キリスト教がローマ帝国において公認された4世紀から、教会の発展期が始まりました。長い中世はそのような時代であったといえるでしょう。

教会の勢力が強くなるにしたがって、教会は世俗的な力も強くなり、それによって聖と俗との均衡が危うくなることがありました。そのような時代にも多くの聖人たちが現れ、教会の刷新に力となりました。アシジの聖フランシスコもそのような聖人の一人です。

また、教会の刷新運動としてプロテスタンティズムが生まれ、カトリック教会はそれに対抗して自らを刷新する運動を強くしました。アヴィラの聖テレジアや十字架の聖ヨハネによるカルメル会刷新運動や、聖イグナチオ・ロヨラによるイエズス会創立は、その代表と言えます。病者の世話や貧者の救済・教育などのためにも、多くの修道会が創立されました。

また、東洋やアメリカ大陸への航路が発見されるなど、新しい未知の世界との出会いから、世俗権力が利益獲得を追求したと同時に、教会はキリスト教を知らない人々に宣教師を送って宣教活動を始めるようになり、イエズス会はその先鋒となりました。現代の視点から見ると、かなり強引な方法で住民をキリスト教化したことがあるのを否定できません。これについては、西暦2000年に時の教皇ヨハネ・パウロ2世が、この2000年の間に教会が犯した罪・過ちとして、全世界に向かって公に謝罪されました。

イエズス会の創立者イグナチオ・ロヨラは、インドを植民地にしていたポルトガル王の願いにより、1541年に宣教師をインドに派遣しました。この時に派遣される予定であったイエズス会士が出発直前に高熱を出したため、代わりに派遣されたのがフランシスコ・ザビエルです。ザビエルはインドのゴアを中心に宣教活動を行いましたが、そのうちにマラッカ、モルッカ諸島で宣教活動をしました。そこで日本人ヤジローと出会ったことをきっかけとして、日本での宣教を考え始め、ついに1549年8月に鹿児島に上陸しました。日本人たちとキリスト教との最初の出会いです。

(左)聖イグナチオ・ロヨラ (右)聖フランシスコ・ザビエル
(左)聖イグナチオ・ロヨラ (右)聖フランシスコ・ザビエル