藤学園は2015年に創立90周年を迎えます。記念事業の一つとして、2012年から「藤のルーツを学ぶ旅」を行なって、教職員、卒業生などを中心に、藤という学校の原点ともいうべきところを訪れています。
1920年に北ドイツの寒村テュイネ村にある女子修道会「殉教者聖ゲオルギオのフランシスコ修道会」から、3人の修道女が札幌に来ました。1907年に札幌に来た宣教師ヴェンセスラウス・キノルド司教様の依頼によって、女子のための学校を始めるためでした。
その当時、札幌には4つの高等女学校がありました。いずれも4年制で、男子の中学校(5年制)の教育より多少レベルが低いと考えられていました。女子の学習意欲は強く、4つの高等女学校では入学しきれないほどの志願者たちがいました。女子に高い教育の機会を与えることによって、北海道の向上を図ろうと考えたのがキノルド司教様でした。
「殉教者聖ゲオルギオのフランシスコ修道会」という修道会を、簡単にご紹介します。19世紀の半ば、北ドイツのテュイネ村の主任司祭ダル神父様は、南ドイツのストラスブルグ(現在はフランス領のストラスブール)に誕生後間もない修道会から2人の修道女を招いて、当時流行していたチフス患者の看病と子供たちの教育の仕事を頼みました。そのうちにストラスブルグがフランス領になり、移動や通信手段の発達していない時代ですから、ストラスブルグとの往来も困難になり、戻ってくるように本部から指示が来ました。しかし、彼女たちがいなくなれば、この病人や子供たちの世話をしてくれる人がいませんでしたので、ダル神父の頼みもあり修道女たちは新しい修道会を作ってそこに留まることにしました。それが1869年のことです。総長となって新しい修道会を導いたのが、最初にテュイネに来た2人のうちの一人、シスター・アンゼルマでした。以後、彼女はムッター (母)・アンゼルマと呼ばれます。