藤のルーツ 第7回

ローマ時代の殉教者たち

今回は、1世紀から4世紀初頭の間のローマ時代における殉教者たちに焦点を当てたいと思います。ローマ帝国は諸国・諸民族を支配する広大な帝国となり、多民族帝国の方針として、支配した民族や国の宗教に寛容な立場をとっていました。それなのに何故、キリスト教徒たちが迫害され、殉教していったのでしょうか?

まず挙げられるのは、多神教社会であったローマ帝国において、キリスト教は厳密な一神教であり、偶像に献香したり、偶像に供えられた食物を食べるのを拒否したこと。また、皇帝崇拝が求められるようになった時、それを断固として拒否したことがあげられます。皇帝崇拝は、帝国に対する忠誠の絶対的な要件として求められました。

さらに、キリスト教徒は身分の違いに関わらず、兄弟姉妹として一致していたこと。特に、当時の厳しい奴隷制社会の中で、奴隷が自由民と同じ集いに参加し、同じ仲間として加わることができたことは、理解されませんでした。

キリスト教徒たちの間で一番大切にされたミサにおいて、キリストの体と血とされるパンとぶどう酒を口にすることが、人肉食をしていると誤解されたこと。これは16世紀に日本に入ってきたキリスト教が、同じような誤解を受けたことを思わせます。

また、迫害の中で祈るために、キリスト者たちはよく地下墓地であるカタコンベに集まっていましたが、それが秘密結社のような印象を与えたこと。

その他、多くの理由があるのでしょうが、紀元64年のネロ皇帝による迫害に始まり、95年のドミチアヌス皇帝の迫害、303年のディオクレティアヌス皇帝による迫害などが有名です。多くの殉教者たちが、競技場において十字架上で火炙りになったり、猛獣の餌食になったり、残虐な方法で命を奪われました。いえ、正確に言うと、彼らの命を捧げてキリストへの信仰を証しました。初代教会は彼らの信仰をたたえて、そのお墓の上に教会を建てるようになり、墓の真上に祭壇が置かれるようになりました

競技場で血を求める大群衆の前で殉教していくキリスト者たち
競技場で血を求める大群衆の前で殉教していくキリスト者たち