藤のルーツ 第4回

教皇への忠誠

前回は、聖フランシスコの精神をご紹介しました。「行って、私の家を建て直しなさい」というキリストの呼びかけを聴いて、幾つもの壊れかけた教会を修復し、すべてを捨てて貧しくなり、謙遜に愛深くハンセン病患者たちのお世話をしたりしているうちに、仲間たちが加わってきたのでした。

今回は、その増えてきた仲間たちとの新しい生活を、教会から正式に認めていただくことを求めて、フランシスコは簡単な規則を作って教皇イノチェント3世のもとに承認を願い出たことです。その原始会則と呼ばれるものは、イエスの命じることをそのまま実行し、イエスの生活を完全に模倣しようというフランシスコの精神が書かれた非常に簡単なものです。フランシスコは、自分たちの新しい生活を教皇の承認のもとに行いたいと考えました。

当時、一切を所有せず全く清貧に生き、托鉢や宣教活動を行っている団体がいくつも現れていました。ワルド派が有名ですが、教会からは異端とされていました。彼らは教会の許可なしに、信徒が勝手に説教活動をしていました。フランシスコは教会の権威を尊重し、その最高権威者である教皇からの承認を求めようとしました。彼は、一部の高位聖職者たちの堕落を糾弾することもせず、ただ、貧しく謙遜で平和を愛する生き方をする道を歩みました。

1209年、フランシスコとその仲間たちは、アシジからローマへ歩いて出かけ、アシジのグイド司教に伴われてラテラン教会に教皇イノチェント3世を訪れます。教皇は、目の前に現れたぼろをまとった貧相な若者たちを見て、拒否しそうになりますが、彼は一人の男が倒れかかったラテラン教会の柱を支えている夢を見ます。その男がフランシスコであるとわかり、彼は1210年にフランシスコの新しいグループを「小さき兄弟会」として承認します。

フランシスコたちは、ローマに滞在している間に剃髪を受け、教会から聖職者として認められたことになり、それ以後、正式に説教活動を行うことができました。

(左)ラテラン教会に到着したフランシスコと仲間たち (右)教皇イノチェント3世の夢(ジョット画)アシジ・聖フランシスコ教会
(左)ラテラン教会に到着したフランシスコと仲間たち (右)教皇イノチェント3世の夢(ジョット画)アシジ・聖フランシスコ教会