第11回 イングランド北東部の聖地巡礼<英国カトリック教会の夜明け(2)>

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第11回 イングランド北東部の聖地巡礼<英国カトリック教会の夜明け(2)>

前回、本学図書館にあるリンディスファーン福音書(ファクシミリ版)は、この写本が作られた修道院と島の名に由来することをご紹介しました。この聖なる島は、ブリテン島北東部のキリスト教布教の中心となりました。干潮時には道路が現れ、本島と陸続きとなります。島には最初に建てられた修道院の跡と、破壊された修道院の石で築かれたという小さな城が遺されており、修道院跡の一角に聖アイデン像とケルトの十字架が建っています。12世紀には潮が引くと徒歩で往来が出来ることで聖地巡礼と観光が結びついたといいます。今でも観光地として知られていますが、この地域の人々にとってはこの島やアイオナ島を訪ねることはその生涯において特別なことなのです。

この島から100キロほど南に本学の協定校ニューカッスル大学があるニューカッスル・アポン・タイン市があります。ここは紀元1世紀に、ローマ帝国が築いた北辺防備の拠点でした。多くの修道士がいた市内には1000年以上の歴史を持つ教会がいくつもあり、アイオナから来たケルトのキリスト教布教の伝統を受け継いでいます。当時の人々は教会の権威よりもむしろ身近な修道士達の精神に触れて信仰に導かれていったのだろうと想像します。

一方、中部以南のイングランドは、本学の協定校ケント大学があるカンタベリーを中心にローマから遣わされた聖オーガスチンによるキリスト教が勢力を伸ばしていました。やがてケルトとローマの復活日の違いが論争となり664年ノーサンブリアのウィトビーにあった女子修道院(院長聖ヒルダ)で初めての公会議が開かれます。この会議でローマ教会の暦が標準となり、ブリテン島の正統なキリスト教の地位を得ることになりました。その後ローマ教会によるキリスト教統一は、イングランド王国の統一と勢力拡大にも繋がっていきます。このようにウィトビー公会議は、英国におけるカトリック教会の最初の大きな分岐点となるのです。


(キリスト教文化研究所所員 下田 尊久)

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