参加者は学生11名、卒業生2名、そして今年度本学科から文化総合学科へ所属が変わった松村良祐先生の計14名。引率は学科主任の揚妻祐樹先生、関谷博先生、教務助手の3名でした。
研修旅行からほぼ1週間後、9月6日の未明、胆振地方中東部でマグニチュード6.7、最大震度7の地震が派生し、同地方、札幌市内でも大きな被害が出ました。つい1週間ほど前に訪ねた地域ということもあり、研修でお世話になった方々や施設の安否が大変気になりました。
被災した皆様には心よりお見舞い申し上げます。
1日目 8月28日(火)
今年は道内での研修ということで、本学北16条キャンパスからチャーターバスで出発しました。
最初に向かったのは新ひだか町真歌公園のシャクシャイン記念館と新ひだか町アイヌ民族資料館でした。
真歌公園には17世紀のアイヌの英傑シャクシャインの像が建っており、その老朽化と新しいシャクシャイン像の設置を巡って議論がなされている最中で、私たちが訪ねたのは像の周りに危険防止措置のフェンスが巡らされた直後でした。その後この旧像は9月20日に撤去され、像の前での写真は貴重な一枚となりました。
シャクシャイン記念館はアイヌ文化遺産の保存と交流の場として、現在も儀式の場などに利用されている記念館で、隣のアイヌ民族資料館とともに生活や儀式使用する貴重な道具などが展示されており、住居の様子も体感することができました。また展示されていたチプ(丸木舟)にも乗せていただくことができました。
次に向かったのは平取町の二風谷アイヌ文化博物館です。
博物館では学芸員の方に、同館が沙流川流域のアイヌ文化のモノと、それがどのように作られるのか、またそれを作っている植物などをどう育てるのかにまでさかのぼって継承していくということに取り組んでいるというお話をしていただき、有形・無形のアイヌ文化を支え保存していくことに携わる方々の絶え間ない調査と努力を知る機会となりました。
博物館の周辺には野外施設としてアイヌの住居チセを復元したチセ郡が広がり、また、にぶたに湖や対岸のイオルの森、を見渡す展望台からの景観の中に、水生植物の再生の様子を見ることができました。
にぶたに湖(沙流川流域)を望む
平取町では義経神社・義経資料館を見学しました。奥州で自刃したとされる義経がひそかに蝦夷地白神に逃れ、アイヌのカムイ(神)としてあがめられたという、この地のオキクルミ伝承と同一視されたむきのある義経伝説に由来します。現社殿は1961年に建てられたとのことですが、起源は寛政11年(1799年)の近藤重蔵らによる義経公御神像の寄進安置によります。またこの神社は競走馬の産地ということもあり、競馬にご利益があるとのことでもありました。
1日目の最後の見学は白老の仙台藩白老元陣屋資料館でした。幕府は鎖国政策に終止符を打ったのち、ロシアの南下を警戒して松前藩や東北諸藩(津軽・南部・秋田・仙台・庄内・会津)に蝦夷地を分割警備させました。仙台藩は白老の地に元陣屋を設け、白老から国後・択捉島までも含めた太平洋岸の3分の2を守備しましたが、戊辰戦争によって幕府が倒れ、仙台藩も12年で白老を去ることとなります。その元陣屋跡が整備され、仙台市との歴史姉妹都市提携によりこの資料館の開館に至ります。資料館では蝦夷という厳寒の地での任務にあたった仙台藩士たちの様子を資料から知ることができました。
仙台藩白老元陣屋跡にて
2日目 8月29日(水)
この日は恒例の有志による朝散歩から始まりました。朝5時にホテルロビーに集合。夜間に降った雨に濡れた温泉街の道を、地獄谷に向けて出発しました。
すると地獄谷に子鹿を含めたエゾシカの群れが…。
鹿も温泉を求めているのでしょうか…。
正規の行程としては、まず登別にある『アイヌ神謡集』を著した知里幸恵さんの墓所を訪ねました。墓所は富浦墓地にあります。1922年5月、幸恵さんは19歳の時にアイヌ語を研究する東京の金田一京介のもとへ『アイヌ神謡集』をまとめるために上京しますが、8月に心臓病を患い、9月18日に心臓麻痺でこの世を去ります。遺骨は東京・雑司ヶ谷霊園に埋葬されますが、1975年に富浦墓地へ改葬されました。
口承だったアイヌ神謡を文字化にすることに全身全霊を捧げた彼女の短い人生を思うと、同世代の学生たちも胸にこみあげてくるものがある様子でした。幸恵さんのお墓の隣には伯母でありユーカラの伝承者である金成マツさんのお墓もありました。
そしてその流れで訪ねたのは知里幸恵・銀のしずく記念館です。1階では幸恵さんの生涯と仕事が、残されたノートや手紙、遺品などによって紹介され、2階には弟で金田一京介の力添えで東大でアイヌ語学研究し、『アイヌ民譚集』などを残した知里真志保さんに関する資料や、アイヌ文学や文化、歴史に関心を持ち自らの作品にも描いてきた津島佑子さんが翻訳したフランス語の『アイヌ神謡集』などが展示されていました。
津島佑子さんには本学科の日本語・日本文学会の50周年の記念講演をしていただいたことがあります。館の方から生前津島さんがノーベル賞作家のル・クレジオさんを伴われて訪ねてきた際のお話などを聞くことができました。また、記念館の横には原生林の森があり、静かなひとときを過ごすことができました。
記念館を出た後は知里真志保さんの記念碑を見学し、登別を後にしました。
次に訪ねたのは室蘭市港の文学館 です。港の文学館では室蘭ゆかりの作家に関する展示がされています。
ちょうど芥川賞作家の「長嶋有特別展」と「宮沢賢治『物語の世界』展」を開催中でした。充実した展示内容に行程の時間配分をもう少し考慮すればよかったと思うほどでした。
その後昼食をとり、測量山の八木義徳文学碑、入江臨海公園内の葉山嘉樹の文学碑を見学し、室蘭から伊達市へ向かいました。
室蘭市港の文学館にて
伊達市では有珠善光寺を見学する予定になっていましたが、社殿は改修中。宝物殿も担当者が不在で見学ができないという残念な状況になりました。仕方がないので境内や社殿の裏の杜の石割桜やアイヌ慰霊碑、1624~43年に迫害を受けたキリシタンが、当時の善光寺境内に建立したという織部灯篭(聖母マリアを観音菩薩に模して刻んでいる)などを見学しました。
最後の見学はバチラー夫妻記念堂です。ヨーロッパの小さな町にひっそりと建つような風情の石造りのつつましやかな教会でした。
バチラー夫妻は聖公会宣教師として北海道を訪れ、キリスト教の普及とアイヌ語研究に力を注ぎました。夫妻はアイヌの向井八重子さんを養女とし、八重子さんはキリスト教の伝道師として伝道活動を行うとともに、歌人として『若きウタリに』という歌集を残しました。
記念堂はこの日は見学可能な日ではなかったのですが、たまたまドアの工事中で、館の方が中を見学してよいと言って下さり、2階のバチラー夫妻、バチラー八重子さんに関する展示室を見学することができました。善光寺の見学が残念な結果になっていましたので、この奇跡的な見学の巡り合わせに一同喜んでいました。
すべての見学が終わり、札幌からそう遠くない土地に豊かに広がるアイヌ文化、そして藤にとってはなじみ深いキリスト教とアイヌの人たちの関わりに触れることができ、大変充実した研修となりました。
この研修の成果をまとめ、日本語・日本文学会学生運営委員が10月13日、14日の藤陽祭にて研究発表を行います。
ぜひご来聴ください。