メッセージ
教員からのメッセージ
新たなる発見への旅 水口幹記准教授
現在、高校の授業では、国語(文学)と社会(歴史)はそれぞれ別の教科として設定され、大学でも史学と文学は別の学問として扱われています。しかし、それは所詮近代以降の制度的なもの。古代に書かれた文章・作品には、そういった問題をあっさりと無力化してしまうほど実に豊穣な世界が展開されています。歴史の教科書などで習う『古事記』は文学書・『日本書紀』は歴史書などという単純な腑分けは、じっくりと両書を読んでいく過程で曖昧となっていきます。また、日本古来と思われていたものも東アジア世界の中で捉え直していくことによって、その常識もほころびを見せていくことになります。確かにこれは今までのみなさんの認識を揺るがすことになるかもしれません。しかし、そうした曖昧で不安定な状況にこそ、新たな発見があるものです。私たちと一緒に、みなさんの若い感性を存分に発揮する旅に出てみませんか?
平安文学の<闇>を探る 小山清文教授
一見、華やかで雅(みやび)やかな王朝貴族社会を舞台とした作品世界の裏側に隠され仕掛けられたさまざまな人々の数々の思惑の蠢(うごめ)きを嗅ぎ取っていきたい。たとえば、歴史や思想的背景、<男><女>のかかわりなどに目を向けながら、あれやこれやと平安京・平安時代について考える。しっかりと本文(テクスト)を読み解き、あるいは時代背景などを睨み据え、じっくりと構えていけば、現代にまで通じる諸問題が<闇>の彼方から浮かび上がってくるかもしれない。多くの女性作者を排出した平安文学の上っ面を味わうだけでなく、奥底にまで分け入れば、そこに埋もれている微かな囁きを聴き取れるかもしれない。そんな思いを抱きながら、ともに古典文学にふれあってみませんか。
今年のテーマは”<恋歌>を学ぶ”です 平田英夫教授
和歌は人の気持ちがこもった器です。それを聞けば、どんなに離れていても、その人の伝えたかったことが、目の前に現れてきます。また和歌は身分を超越して物事を伝達する能力を持っていました。敬語を用いることなく、自分の気持ちをどんな身分の高い人にも伝えることができたし、逆に天皇や神、仏たちでさえ歌を用いて人々と心を通じ合わせようとしたのです。このような和歌の力について深く考えさせられるのが恋歌です。日本において和歌文化がこれほど発達した原因は自分の恋心を恋歌というかたちにして相手に伝えるというやり方が存在したからだと思います。現在、私のゼミや講義の大きなテーマのひとつは<日本の恋歌>です。人の心の表現史を和歌を通して学びたいと思っています。
作者との対話を通して 山本綏子教授
人は、人と対話しながら生活をしています。人と話をする時に一番大切なのは、相手が言いたいことをきちんと理解するということです。私は、文学研究も同じだと考えています。作者が何を伝えたいのかを正確に汲み取るところから、文学研究は出発します。ですから、古典文学研究では、作品を丹念に注釈し、口語訳をするという作業が、基本となります。近世は、本格的な出版が始まった時期です。そのため、たくさんの種類の本が現在にも残っており、私たちはたくさんの作家と対話することができます。一人一人の作家の声に注意深く耳を傾けながら、自分なりの論を展開することを心がけたいと思っています。
文学研究と自由の関係 関谷博教授
"私は文学にはあまり関心がない"と思っている人はいるでしょう。しかし、そうおっしゃる人の価値観や人生観が、案外色々な小説的イメージに影響されているかもしれません。たとえ本など一冊も読まないという人でも、小説や漫画を原作としたTVドラマを毎日観ていれば、そういうことは起こりえますから。だとすれば、"<文学>的なるもの"に対して、きちんと批評する力を養っておくことは、真に自由に考え、自由に生きるための不可欠な条件ということになるでしょう。学ぶことが生きる元気の源になる、そんな場になれば、と願っています。(その影響力の侮れない、マンガやゲーム、アニメなども、同様の理由で、研究の対象に入ります)。
小説が喚起する問題に向き合う 種田和加子教授
泉鏡花作品を中心に、近代小説の構造を解明することを目的としています。近代化と呼応して成立したのが小説というジャンルなので、作品を同時代の文脈に還元してみたとき、みえてくることは、はかりしれません。たとえば、着物や髪型の描写によって「階層」はもちろん、権威への「抵抗」を示唆していることもあり、気が抜けません。小説は挿絵や映画、芝居など視覚的なイメージと連動しています。小説の日本語はいかにして成立したのか?メロドラマの機能とは?ジェンダーの視点を導入したら?
多くの疑問を動員することで現在の我々の問題として文学をとらえかえしたいと思います。物語の構想力や現代社会を照射する力量からいって、桐野夏生の作品には多大の関心を寄せています。
<カルチュラル・スタディーズ>への招待 菅本康之教授
カルチュラル・スタディーズは、その表記(Cultural Studies)から理解できるように、常に複数形で、唯一絶対の理論体系ではなく、多様な批判的理論であり、実践です。つまり、文学や社会学、歴史や文化人類学など様々な学問が交錯した学際的で、実践的な研究といえます。文学が衰退する一方で、<マンガ>や<アニメ>が、多くの人たちを魅了するのはなぜ? どんな音楽・映画・テレビ番組が好きですか? など私たちの日常生活を取り囲んでいる多様な<文化>について考えていくことで、あらためて自分のアイデンティティを見直してみませんか。
外来語「カルタ」の一族のこと 漆崎正人教授
「いろはカルタ」や「うたカルタ」などの「カルタ」という語は、ポルトガル語cartaに由来する16世紀以降の外来語です。日本では<トランプ(に類した道具)>だけの意味で伝わったものですが、本来この語には、<手紙><証書><品書き><台紙>など外に色々な意味があります。実は後にcartaと同じ語源の、ドイツ語のKarteが<診療簿>の意のカルテで、フランス語のcarteがアラカルトのカルトの形で<献立表>として受け入れられました。このような語を二重語と言いますが、「カルタ」一族の場合、カードだけは、一族の他の語の意味を吸収しながら、「カード(ローン)」などの意味用法を更に拡げています。
日本社会、日本人の心理の変化は言葉にどのような影響を与えたのか 揚妻祐樹教授
言葉は、それを用いる人々の心理や、人々が住む社会の姿の反映であって、言葉の姿を通して心理や社会のあり方を観察することができます。たとえば、今日私たちの社会にはかつてなかったメディア(ケータイやインターネット)が現れ新しい人間の関係の仕方が生まれる一方、東京中心の情報網が全国を覆い、地域社会の文化も変容を強いられています。それは言葉の面でいうと、ネット語の発生や伝統的方言の衰退といった形となって現れています。明治以降、近代化の流れの中で、教育・メディア・政治・経済など日本はさまざまな面で変化してきましたが、それと並行して言葉も変化してきました。授業ではこうした問題について考えたいと思います。
漢文は<外国語>ーか? 名畑嘉則教授
漢字は、古代中国で生まれた漢語を記述するための文字です。しかし日本人は、漢語で書かれた中国の古典を教養の源泉としたばかりでなく、自ら漢字・漢語を用いて文章を作って来た伝統があります。そしてそうした文献を日本人は原文を直接「読み下す」形で享受して来ました。ーと考えると、漢文を単純に「外国語」と言ってしまってよいかどうかは実は非常に微妙なところでもあるのです。(日本語としての「読み」を具えた文を「外国語文」と言えるのかー?)私の担当する「漢文学」の授業が、我々日本人の言語や思考の、もはや切り離すことのできない一部分をなす漢字・漢語について、改めて考えてみる機会になれば、と思っています。
<書>という芸術文化への誘い 押上万希子講師
中学国語・高校書道の免許取得を考えている学生はもちろん、そうでない学生のみなさんにも「書道」という芸術文化に触れていただきたいと思っています。筆を持つことは難しくありません。たとえば、「書き順を確認するから、指を出してー」と言うと、たいていの人は人差し指を出します。シャープペンやボールペンなどの筆記具を持っても、人差し指で書いているという感覚が私たちにはあるようです。筆も同じです。正しい持ち方をすれば書きやすくなります。硬筆と違って毛筆の筆先に神経を集中させるのは少し大変ですが、その分達成感が生まれるでしょう。是非、一緒に筆を持ちましょう。
在学生からのメッセージ
自分の視野を広げていける研究です M・A/3年生
私が所属するゼミでは、『小敦盛』や『鉢かづき』『浦嶋の太郎』といった中世の御伽草子や説話・物語を中心に各自が興味ある作品を取り上げ、着眼点(テーマ)を設定し、考察を行っています。中世の御伽草子や物語作品は、話の展開が唐突であったり、現代のアニメのように空想性が高く荒唐無稽であったりします。また文章とともに描かれている絵の理解が重要な意味を持つこともあります。さらには同じ物語名でも伝本によって内容がかなり異なっていたり、逆に、違う作品名であるにもかかわらず似たようなに内容が収録されていることもよくあります。
そのようなユニークな特徴を持つ御伽草子・物語の中から浮かび上がる些細な「なぜ?」について、作品に関連する文献や時代背景を調べ上げ、その作品が持つ意味を自分なりに考察するわけです。中世の物語は捉え方によって色々な意味を持ち得ます。その中で自分が、どのような理解をしてその作品の性質を意味付けるのかが重要になります。結論に至るまで迷ったり悩んだりしますが、その結論に至る「過程」を重視したいと思っています。そこには物語を読むうえでの多様な「可能性」があって、その様々な「読み」の可能性を探ることがとっても面白いのです。
仲間と共にさらなる高みへ K・A/3年生
本学科には、日本語・日本文学会という組織があります。有志で集まった学生も運営委員として、この会の運営に関わっています。活動の中でのメインイベントは、研修旅行と大学祭です。研修旅行では事前学習として、研修地に縁のある文学者や作品を、先生方に協力していただきながら勉強します。そうすることで、実際にその土地に行った時に、親しみを感じながら深く学ぶことができます。また、勉強だけでなく、仲間との絆も旅行を通してさらに深まります。その後、大学祭でパネル展示や口頭発表を行うことで、旅行の成果を発揮します。多くの方々に学んできたことを発表して自分の考えを理解してもらうということは大変ですが、とてもやりがいがあります。運営委員の活動で学ぶことは広い分野にまたがり、新たな発見も多くあります。この発見が、自分の研究のテーマやヒントになることもあります。また、仲間と共に切瑳琢磨することで、研究にさらに磨きがかかります。皆さんも、入学したら一緒に新たな発見しませんか?