指導教員 | 題 目 |
揚妻 | 新言文一致体研究 |
若者層における北海道方言の残存について | |
青森県黒石市方言の世代差について | |
日韓大学生における敬語使用及び談話行動での語法の比較 | |
三遊亭円朝『怪談牡丹燈籠』における場面の敬語について | |
漆﨑 | 『春色梅児譽美』における女性のことばづかいについて |
キリシタン資料における表記について | |
小山 | 『源氏物語』における六条御息所について |
『源氏物語』における「夢」 | |
『源氏物語』中の品の女について | |
『源氏物語』における「浮舟物語」をめぐって | |
『源氏物語』における六条御息所をめぐって | |
『源氏物語』桐壺巻における漢籍引用 | |
紫の上の妻としての立場について | |
『源氏物語』における出家について | |
光源氏と女君の恋について | |
『源氏物語』における長恨歌引用について | |
弘徽殿大后及び右大臣側から見た『源氏物語』 | |
『源氏物語』における乳母子について | |
『うつほ物語』論 | |
『枕草子』の生存戦略~回想章段における清少納言の思惑~ | |
『源氏物語』紫の上論 | |
『枕草子』論 | |
菅本 | 村上春樹とアメリカ文化 |
日本文学におけるエドガー・アラン・ポー | |
原民喜「夏の花」論 | |
関谷 | 『魔法少女まどか☆マギカ』論 |
近代化とドッペルゲンガー | |
福永令三『クレヨン王国』シリーズ作品論 | |
太宰治論 | |
全体主義・世界システム・児童文学 | |
庭という場と文学 | |
佐藤さとる論 | |
女と女の文学 | |
『はなはなみんみ物語』論 | |
文学とヒューマニズム | |
エゴイズムと文学 | |
内田百閒論 | |
『獣の奏者』論 | |
芥川龍之介論 | |
『西の善き魔女』論 | |
ピノキオ論 | |
『南総里見八犬伝』論 | |
ミヒャエル・エンデと日本の児童文学 | |
文学教材の中のエチカ | |
夏目漱石前期三部作論 | |
種田 | 現代文学作品の受容について |
尾崎翠論 | |
萩原朔太郎 『猫町』論 | |
谷崎潤一郎論 | |
村上春樹『騎士団長殺し』論 | |
梶井基次郎論 | |
名畑 | 東アジア圏からの北海道旅行者の観光行動について |
『史記』から見る司馬遷の思想 | |
平田 | 加藤千蔭の『万葉集』観 |
時代による巴御前像の変容 | |
中世の女人と出家について―『とはずがたり』を中心に― | |
ものがたりの中の崇徳院 | |
『西鶴諸国はなし』「忍び扇の長歌」論 | |
『平家物語』における平知盛の人物像 | |
女房の恋歌 | |
水口 | 古代文学における鬼について |
女性と人身御供 | |
『古事記』『日本書紀』におけるスサノヲについて | |
『日本霊異記』上巻第二十二縁考 | |
古代日本における言霊信仰について | |
上代文学における蛙について | |
古代日本文学における狐について | |
古代日本における「名」の持つ意味 | |
花の窟考 | |
根の堅州国について | |
『古事記』・『日本書紀』における黄泉国について | |
『日本霊異記』上巻三十縁からみる地獄 | |
記紀から探る「白」と動物の関係性について | |
『日本霊異記』編者景戒について | |
松本(文総) | 吉田松陰の人物像の変遷 |