ドイツ青年運動からナチズムへ

ドイツでは、1871年のドイツ帝国成立から1915年の第一次世界大戦の勃発、1918年のドイツ革命を経て、ワイマール共和国の成立、1932年のナチ政権掌握という、たった60年間に大きく変化を遂げている。これらの短期間の歴史の変動により価値観の動揺が与えられたといえる。

 

ナチスといえば、独裁、暴力、大量殺戮等といったような言葉が浮かんでくる。第三帝国と呼ばれていた当時のドイツでは、現在の私たちとは思想、価値観といった点で異なる点が多いに違いない。しかし、ナチスドイツ以前のドイツ国民は、現代に生きる私たちと似た思想や価値観を持ち、その時代に相応の平穏な生活をおくっていたであろう。その平穏な生活に影響を与え、変化させていった物事は何であったか。そして、特にドイツの若者においてどのような歴史的背景を経て、ファシズムという思想に染まっていったのだろうか。これらのことを本論文では、第一次世界大戦による既存の価値観の動揺を踏まえて述べていく。

ドイツは第一次世界大戦によって目に見える戦争の被害というものだけではなく、思想・価値という面で大きな影響を受けたと言える。第一次世界大戦以前、人々は戦争を学校の教科書で軍服を来た勇敢な騎兵の勝利と学び、戦争というものは単純に荒々しく男らしい冒険と考えていた。また知識人にとっては、この大戦はこれまでの経済の悪化や、先の見えない経済状態、退屈な市民時代からの脱却あるいは贖罪として、人類の精神的な生まれ変わりと文化の再生のためにくぐらなければならない試練といった、文化批判ないしは道徳的・審美的な動機からこの戦争に陶酔した。しかし実際戦争が始まってみると、予想とは相反するものであった。英雄的で勇敢であるはずの戦争は、実際は飢えと疲労に悩まされ、敵の姿を見ることもなく塹壕にこもってばかりのような戦いであり、最後には敗戦という結果が待ちうけていた。しかも第一次世界大戦は人類にとって最初の普遍的な憎悪の体験として実質的な出発点となった。疲弊したドイツ軍は後退を重ね、戦意を失った兵士の集団投降も見られるようになった。当時の成功に戦争終結を期待した国民も最後の希望が消えて戦争への関心を失った。軍部の権威も失堕し、戦時体制は解体し始めた。この戦時体制解体の結果として生じたドイツ革命に対して、中間層階級が自分達の財産の保護が保たれなくなってしまうことを恐れて、社会主義に反対するとともに、社会主義者にユダヤ人が多いという神話に基づいて、従来の反ユダヤ主義を強めていった。こうした心情が旧体制を支えた思想や価値観への不信と連動しつつ、ファシズムの共鳴盤となっていった。

ドイツでは、敗戦とベルサイユ条約による国民的な恨み、1923年のインフレによる中産階級の一体感の喪失と社会秩序に対する信頼の心理的な崩壊、1929年以降の大恐慌時における経済的な破碇、わずか15年の間のこうした出来事が、大衆をワイマール体制への拒否に向かわせた。ファシズムは、こうした大衆の動揺を背景として彼らの支持を受け、権力を獲得するに至ったのである。

1896年にベルリン大学の学生へルマン・ホフマンが創設した速記術勉強会から生まれたワンダーフォーゲルは、その後青年運動自体の原型はとどめてはいるものの、さまざまな形に変化を遂げ、政治・社会状況の変化などに大きく左右されていった。大戦を経て1919年頃、戦時中に多くの問題を山済みにした兵士上がりのメンバーにとって、ワンダーフォーゲルや青年運動はもう必要の無いものになっていた。そのときに起きた革命と共に、ドイツの政治には深い裂け目ができ、1919年の春には革命を歓迎した左翼と、積極的に革命に反対した右翼の間に衝突が起こった。自由ドイツ青年団が左翼化していくのに対抗した右翼組織として1919年に青年ドイツ・ブントが創設される。ブントは右翼的なグループであったため、次第にナチズムの影響をあっさりと受け入れていく。しかしブントの歴史も1933年6月に終わりを迎えた。大戦による旧秩序の崩壊、それに代わる新秩序の不安定が、様々な体制観や社会観に対する信頼を失わせ、その空白を埋めるかたちで大衆の支持を得たのがファシズムであった。こうした事情は、青年運動の場合も同様であり、目標を失った青年運動の新たな受け皿として、ナチの青年運動が登場してくることになる。その後、ナチの青年運動として1936年12月1日から、ヒトラー・ユーゲントが国家組織とされ、全ての青少年の参加が義務付けられた。このようにして青年運動はナチズムに取り入れられていったのである。