【藤女子大学】文学部 日本語・日本文学科 トピックス

日本語・日本文学科のニュース・イベントなどをお知らせいたします。

2012年01月16日2011年度文学散歩(小樽)のご報告

1月15日(日)、寒さの厳しい中、今年度の文学散歩を行いました。 

今年度の見学地は小樽。北海道を代表する小樽出身の2人の作家、小林多喜二と伊藤整に関する研修となりました。 

参加者は学生9名、卒業生2名。引率は関谷博先生と教務助手・濱崎の2名でした。 

主な参加メンバーである日本語・日本文学会の学生運営委員は、12月に小林多喜二や伊藤整の作品を読み、勉強会を数回行った上で臨みました。 

小林多喜二と伊藤整は大正末期に小樽高商(現小樽商科大学)に1学年違いで在学し、卒業後に作家、詩人としての活動を本格的に開始します。目指す文学の方向は違えども、同じ時代に同じ街で青春期を過ごし、文学を通して互いに強く意識し合う存在でした。そして、多喜二は戦前にプロレタリア文学という〈思想の表現〉によって、整は戦後〈性の表現〉によって、時を隔ててそれぞれが国家権力と戦うことになります。 

こうした2人の軌跡を小樽市立文学館を見学したのち、二人が青春期を過ごした北のウォール街とも呼ばれた色内町界隈を散策し、小林多喜二が銀行員として勤めた北海道拓殖銀行小樽支店の建物(現ホテルヴィブラントオタル)、や同じく多喜二の『不在地主』に描かれた小作争議の舞台となった磯野進商店跡(現・海猫屋)などを見学しました。 

そのあとは海猫屋さんで昼食を取り、解散となりました。 

2人の作家が青春期に過ごした街を実際に歩き、当時の時代状況に思いを馳せた1日でしたが、暖かくなったらもう一度小樽を訪ね、多喜二や整の記念碑やその他のゆかりの場所も巡りたいものです。          (記 教務助手:濱崎)

           小樽市立文学館前にて

小林多喜二『不在地主』の舞台となった                                 旧・磯野進商店(現・海猫屋)前にて

  

  

2011年09月27日2011年度 研修旅行のご報告

9月1日(木)~3日(土) 2泊3日で北陸の富山県高岡市と石川県金沢市を訪ねました。

 今年は各地で大きな傷跡を残した台風12号の進路予想を睨みながらの出発となりました。

 参加者は学生18名に卒業生が1名、引率は学科主任の関谷先生(本来今年度の学会担当である菅本先生が9月からサヴァティカルで不在のため代行)と金沢出身の作家・泉鏡花研究をご専門とされている種田和加子先生でした。

1日目:9月1日(木)富山県高岡市

 富山空港から最初に訪ねたのは高岡市万葉歴史館でした。『万葉集』の編者だと言われ、集中もっとも多くの歌が納められている大伴家持が746年に越中守として現高岡市に赴任したことにちなんでつくられたという歴史館では、企画展として「越中国と万葉集」が開催中でした。事前の勉強会で大伴家持が越中赴任中に詠んだ歌を中心に取り上げてきたこともあり、学生たちは関心を持って学芸員の解説を聞いていたようです。また、昨年12月に行われた文学散歩に参加し、旭川市の井上靖記念館で「天平の甍」に関する展示を見学した一部の学生たちには、天平時代の様子があらためて興味深く感じられたようでした。

高岡市万葉歴史館の自然庭園内「立山の賦」歌碑前にて

 見学後、歴史館の近くにある大己貴命と奴奈加波比売命を主祭神とする越中国一宮である気多神社(重要文化財)とその本殿隣に位置する大伴家持を祀った大伴神社を訪ね、次に向かったのは国宝・高岡山瑞龍寺です。

 加賀藩主前田利長の菩提として建立された曹洞宗の寺は、窓からの眺めに立山連峰を借景とするなど、前田氏の権力を顕在化した荘厳な寺院でした。僧侶の軽妙な解説に思わず学生たちから笑いがもれることも・・・。

 

国宝・高岡山瑞龍寺にて

 この日最後に訪ねたのは日本三大仏の一つ、高岡大仏。街中にあまりに忽然と顕われた大仏に、一同驚きました。大仏の内部の回廊を見学したのち、宿泊地金沢市へと向かいました。夜は毎年恒例の参加者全員の親睦を兼ねての食事会となりました。

                     忽然と現れた高岡大仏・・

 

  

  

 

 

 

 

 

2日目:9月2日(金)石川県金沢市

   2日目の朝は、有志を募っての恒例・朝の散歩から始まりました。朝5:30にホテルロビーに集合した学生は8名でした。テーマは中野重治の『歌のわかれ』の舞台ともなった、中野重治の四高時代の下宿のあった界隈をめぐる、というものです。ガイドブックの地図にも載らない場所とあって、少々苦労しての散策でしたが、学生のスマートホンの地図で八坂を探し当て、記念撮影。

 ホテルに戻り朝食後、いよいよ本行程の開始です。2日目と3日目は金沢市内だけの見学ということもあり、例年のようにチャーターバスは使わず、徒歩での見学です。

  この日最初に目指すのは、卯辰山の登り口付近、帰厚坂の泉鏡花句碑、のはずでしたが、浅野川大橋を渡ってしまったことから、まず初めに訪ねたのは徳田秋聲生家跡に建てられた徳田秋聲記念館でした。記念館は浅野川のほとり、梅の橋のたもとの大変見晴らしの良い場所に建っていました。

                                                                                                                                     

 学芸員の解説を聞きながら勉強会で取り上げた『あらくれ』や『挿話』の世界に思いを馳せました。解説をして下さった学芸員の方は、昨年の研修旅行(山口)の中原中也記念館でもお世話になった方で、金沢ご出身ということもあり、故郷に戻っていらしたということでした。違う場所で一年を経てお会いした偶然に大変驚きました。                           

                                                        

徳田秋聲記念館にて

 ボランティアガイドの方の案内で梅の橋を渡り、対岸の泉鏡花『義血侠血』の主人公「滝の白糸」像を見学し、次に向かったのはひがし茶屋街です。ひがし茶屋街では昼食時間をかね、自由見学としました。重要文化財となっているお茶屋「志摩」を見学した学生も多かった様子です。

 昼食後は浅野川大橋を渡り、主計町茶屋街から泉鏡花の幼い頃の遊び場であったという「暗がり坂」を上り抜けると、久保市乙剣宮の境内に出、そこから泉鏡花の生家跡に建てられた泉鏡花記念館へ辿り着きました。泉鏡花は引率の種田先生がご専門ということもあり、本学の学生には日常的な授業等で大変なじみの深い作家であるため、学芸員の解説に熱心に耳を傾けていました。一通り館内を見学したのちはさらに鏡花の初恋の人の家があった場所や、先ほど通った久保市乙剣宮の鳥居横の鏡花の句碑へも案内していただきました。

泉鏡花記念館にて

 次に向かったのは金沢城公園です。金沢城は言わずと知れた加賀藩前田家の居城ですが、そのほとんどは焼失しており、当時のまま残されている一部の石垣以外は後世に修復されたものです。ことに今回見学した菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓は2001年に再建されたものです。しかし、これらの内部を見学し、その大きさにあらためて前田家の財力を知る思いでした。

 朝から暑い中を歩き通し、学生たちはかなり疲れた様子でしたが、2日目の最終目的地、兼六園へと向かいました。

 兼六園をひととおり巡り、歴史博物館重要文化財・成巽閣を見学しました。成巽閣は1863年に建てられた前田家の奥方御殿ですが、「謁見の間」の欄間に彫られた極楽鳥が色鮮やかに着色されていたり、オランダから取り寄せられたという鳥の絵が描かれたギヤマン(ガラス)が障子の腰板に嵌められた「松の間」やラピスラズリで染められた色壁の「群青の間」など、随所に繊細優美な意匠が凝らされ、ため息が出るほどでした。しかし、学生たちはかなり歩き疲れたのか、庭を眺め風に当たりながら虚脱状態の様子。

 ここで解散、夕方から自由時間ということで、各々兼六園を後にしました・・・。台風の影響か降りだした小雨に明日の天気が気がかりでした・・・。

3日目:9月3日(日) 石川県金沢市

 3日目はホテルを出るとそれまで降っていなかった雨が急に降り出し、風も強く、いよいよ台風の暴風圏に入ったのか・・・というお天気でした。雨風の中、傘を差し、レインコートを身に纏って長町武家屋敷跡へ徒歩で向かいました。悪天候ということもあり、武家屋敷街は通り抜けるだけの見学となりましたが、一同、室生犀星記念館へと急ぎました。

 室生犀星記念館も室生犀星の生家跡に建てられています。学芸員に解説を聞いたのち、各自で展示を見学しました。室生犀星の声で録音された詩の朗読が聴けるコーナーなどもありました。

 展示の中で学生たちの話題を集めたのは室生犀星の飼猫ジンノの写真。ジイノが犀星の横で目を細めながら火鉢にあたるために立ち上がってその縁に手を揃えている写真はなんとも愛嬌があります。生き物を可愛がったという犀星の一面が伝わる写真でした。

室生犀星記念館にて 

 これで金沢三文豪の記念館のすべてを巡ってきたわけですが、展示品などから秋聲、鏡花、犀星の三人ともがかなりの趣味人で道具や装飾品にこだわりをもっていたことがわかりました。

 記念館の後は、犀星が幼少期を過ごした養家の寺・雨宝院を訪ねました。雨宝院では『杏っ子』の杏の木を見ることができました。また、窓の間近に犀川の流れを見、犀星が幼少期に見たのと同じ景色を感慨深く眺めました。

 ご住職のお話は記念館での解説とは一味違った趣があり、寺院の作りも含め、この場所が犀星に与えた影響に思いを巡らせました。

雨宝院にて

 朝の風雨はおさまり、お天気は回復していたものの、予定より時間が押していたため、浅野川沿いの「犀星のみち」界隈の見学は昼食時間内での自由見学としました。

 午後は石川四高記念文化交流館の前に集合です。この建物の一部が石川近代文学館となっています。これまで見学した金沢三文豪をはじめとし、石川県にゆかりの作家や作品に関する展示がされています。各自で見学したのち、通りの向かい側にある、この研修旅行の最後の見学施設となる金沢能楽美術館へ向かいました。

 館長さんに能楽のイロハから解説していただき、お能にほとんどなじみのない学生達には今後にむけての良いきっかけになったのではないでしょうか。

  さて、台風は進路を西にずらし、速度も遅かったためか、小松空港から羽田行きの飛行機は無事飛んでいる様子です。羽田から新千歳への飛行機も大丈夫な様子で、ホッとしながら金沢を後にしました。

 台風の影響もあり、曇天のすっきりしないお天気のもとでの見学が続いた今年の研修旅行でしたが、その分、直射日光に当たることはなく、思いのほか暑さを感ぜずとも過ごせた3日間でした。体調を崩す者もなく、無事帰札できました。ニュースで台風12号が各地で振るった猛威を思うと、よくぞ日程通りに終えれたものと奇跡に近いものを感じるのでした。

 参加者の皆さん、大変お疲れさまでした!

 さあ、この記事を読んで、私も来年は参加したい、と考えていらっしゃる受験生の皆さん。

 この研修旅行の成果は10月15日(土)、16日(日)の本学大学祭「藤陽祭」で研究発表や展示として披露されますので、ぜひ見にいらして下さい。そして気軽に会場内の日本語・日本文学会学生運営委員や本学科の教員に声をかけて見て下さい。

 現在、在学中の皆さんで関心を持たれた方も、来年はぜひ一緒に研修旅行へ行きませんか?

 ちなみに事前の綿密な勉強会は5月から7月にかけて全12回、お能や泉鏡花原作の映画作品の鑑賞会も5回行われました。これらは日本語・日本文学会学生運営委員の学生が中心となって企画運営しているものです。手作りの「しおり」作成も含め、研修旅行は、なかなかハードな準備の上に成り立っています。旅行後は前述のとおり大学祭で発表のためにまとめられ、参加者全員執筆によるレポートで文集も作られます。

 そう考えると「大変」ばかりが目につきますが、やり遂げた学生たちは皆、各々得難い達成感を感じているようです。

 何かを作り上げ、達成感を得るにはそれなりの時間と手間がかかるものです。しかし、こうした経験は卒業してからの彼女たちに何らかの影響を与え、思い出となって刻まれているように思われます。

 来年は、ぜひご一緒しましょう!

(記 教務助手:濱崎)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年02月09日2010年度文学散歩(旭川)のご報告

12 月19 日(日)今年度の文学散歩を実施しました。
今年はバスをチャーターし、旭川市の井上靖記念館と三浦綾子記念文学館を訪ねました。
学生20名、卒業生2 名、本学事務局職員1 名が参加。引率は関谷博先生と山本綏子先生、教務助手の3名でした。
見学の事前に、井上靖の『天平の甍』、三浦綾子の『氷点』を読み、勉強会を行った上で研修に臨みました。
それぞれの文学館では学芸員の方に説明を受け展示を見学しました。


井上靖記念館にて

 お天気に恵まれたこともあり、三浦綾子記念文学館では文学館の裏手にある、『氷点』の舞台ともなった見本林を見学することもできました。夕日に照らされた雪の中で見る見本林は『氷点』の世界そのもののようでした。

三浦綾子記念文学館裏手の見本林にて

 

三浦綾子記念文学館にて

「藤女子大学日本語・日本文学会」会報91号には参加学生の感想文を掲載しています。

参加者の皆さん、お疲れさまでした。

2010年09月27日2010年度 研修旅行のご報告

9月1日(水)〜3日(金) 2泊3日で山口・津和野・萩方面を訪ねました。

 今年度はこれまでの研究旅行の中で最も西である山口県(湯田温泉、山口市、萩市、長門市仙崎)島根県(津和野町)を訪ねました。
参加者は学生30名、引率は学科主任の関谷博先生(近代文学)、揚妻祐樹先生(現代日本語)、教務助手・濱崎の3名でした。
この夏の猛暑は格別でしたが、参加者のほとんどが道産子であり、連日35度の炎天下での研修は例年にない厳しさを感じさせました。

1日目:9月1日(水)山口県湯田温泉、山口市
 山口宇部空港からまず最初にチャーターバスで訪ねたのは中原中也記念館でした。夭逝した詩人・中也の記念館は生まれ故郷の生家跡に建てられています。
 記念館では特別企画展「河上徹太郎と中原中也—その詩と真実」が開催されていました。
中也の親友であり文芸評論家である河上徹太郎と中也が音楽という接点で結ばれていたこと、著作物に見られる影響関係などを学芸員の方に丁寧に解説していただきました。
 館内を見学のち、館長の中原豊氏に記念館周辺にある高田公園や錦川通りの詩碑、中也が結婚式を挙げた旅館・西村屋、中原家の墓所、「一つのメルヘン」の舞台になった水無川(吉敷川)を案内していただきました。

                            中原中也記念館にて

 次に向かったのは常永寺雪舟庭です。庭園は、今から約500年前、妙喜寺の時代に、大内氏二十九代正弘が別荘として、画僧雪舟に築庭させたものと伝えら れ、現在国の史跡及び名勝に指定されています。庭を静かに鑑賞したのち、香山公園にある国宝・瑠璃光寺五重塔へ行きました。この五重塔は応永の乱 (1399年)で命を落とした大内二十五代義弘を弔うため、弟盛見が建立を計画し、1442年に完成したと言われています。「西の京」と呼ばれる山口の栄 華の象徴だとも言えるでしょう。少し傾き始めた陽の中で、そのくっきりとあらわれた佇まいに、学生たちもしばし見惚れていました。
 香山公園内には長州藩主毛利家の墓所や、幕末に薩長連合を推進するため会見、盟約がなされた場となった安部半助方の枕流亭(移築・修理されたもの)もあり、山口の歴史の流れを体感するひとときでした。

                 瑠璃光寺五重塔を背景に

 1日目の宿泊地である津和野へ向かう途中にあるのは、中也の詩「冬の長門峡」や「渓流」の舞台ともなった渓谷・長門峡(国指定名勝地)です。
 バスを降り、「冬の長門峡」の詩碑を見学したのち、薄暮の中ほんのわずかな時間、澄んだ水を湛える渓谷で涼を味わいました。
津和野の宿泊先では、参加者全員で夕食を共にし、親睦を深めました。

2日目:9月2日(木)島根県津和野町、山口県萩市
 2日目の朝は希望者を募っての恒例・朝の散歩から始まりました。
まだ夜の明けない5時半に13名がホテルロビーに集合。乙女峠マリア聖堂を目指しました。マリア聖堂は津和野に流された浦上キリシタン153名のうちこ の地で拷問により殉教した36名に捧げられた聖堂です。聖堂は川沿いの細い山道の途中に突然と開けたところにあります。酷く悲しい出来事があった場所にも 関わらず、静かで清らかな気に満ちていると感じられるのは、信仰を貫き、マリア様のもとへ導かれた殉教者たちの最期の穏やかな気持ちがこの地に刻まれているからかもしれません。参加した13名は厳粛な気持ちとなって朝日の中ホテルへ戻りました。

               津和野・乙女峠マリア聖堂のマリア像と殉教者・安太郎の像

 朝食後に目指したのは森鴎外記念館です。ホテルから30分ほどかけ、津和野の街並みを通りながら記念館へ向かいました。文豪・森鴎外は津和野に生まれ 10歳で上京するまでこの地に育ちました。記念館の方に展示に関する解説をしていただき、1時間ほど館内を見学し、記念館に隣接している鴎外旧宅も見学しました。

                            森鴎外記念館にて

 次に向かったのは西周の旧居です。西周は1862年(文久2年)にオランダ留学をし、帰国後、明治初期に“philosophy”の訳語として「哲学」 という言葉を生みだした洋学者であり貴族院議員、政府官僚ですが、森鴎外とも縁のある人物で、鴎外は上京した際、東京の西周邸に寄寓していたということで す。この小さな津和野という集落がいかに多くの優秀な人材を輩出したのかをあらためて肌で感じました。
 その後は自由見学時間を設け、藩校養老館、郷土館、葛飾北斎美術館、津和野カトリック教会などを各自で見学しました。

 各自で昼食を済ませたのち、チャーターバスに集合し、萩へと向かいました。萩は山間の津和野とは違い、日本海に向かって開けた開放感のある城下町です。
 萩で最初に訪ねたのは1890年(明治23年)に吉田松陰を祀って建てられた松陰神社と高杉晋作をはじめとする多くの維新の志士を輩出した松下村塾です。松下村塾の教場となった部屋の思いがけない狭さに学生たちは驚きの声をあげていました。

                               松陰神社にて

 隣接している吉田松陰幽囚ノ旧宅や吉田松陰歴史館、松陰神社宝物殿・至誠館などを見学の後、徒歩で伊藤博文旧宅および別邸へ向かいました。一百姓の家に 生まれ兵庫県知事となる前に住んでいた旧宅と総理大臣を経て晩年に建てた別邸の大きさの違いが伊藤博文の立身出世を物語っているようでした。

 松下村塾創始者で松陰の叔父である玉木文之進の旧宅を見学したのち、萩の市街や日本海を一望する高台にある吉田松陰生誕地と生誕地に近接している墓所へ行きました。
 松陰が整然とした城下町を眼下に見下ろし、町の向こうの海まで一望できるような場所に生まれ育ったとするなら、海の向こうへまで行かんとする野望を抱くのも無理はないと感じさせるものがありました。

      吉田松陰生誕地・吉田松陰と金子重輔の像の前にて

 この日最後に見学したのは、指月公園にある萩城跡です。日暮れを迎え、微かな夕凪に1日炎天下を歩き通し疲れた体が少し癒されたのか、学生たちは思いが けず元気に城跡にのぼり、はしゃぐ様子でした。指月公園との共通券で見学できるということで、公園に隣接している旧厚狭毛利家萩屋敷長屋を見学し、バスの 車窓から藩校明倫館跡(現在は明倫小学校)の南門を見つつ、この日の行程のすべてを終えました。

3日目:9月3日(金)山口県萩市、長門市仙崎
 3日目は朝から萩の城下町の散策です。チャーターバスの車窓から海外密航に失敗した松陰が投じられた野山獄跡を経由し、堀内地区伝統的建造物保存地区で下車ののち、朝から日が照り気温が上昇する中、迷路のような塀のめぐらされた城下町を1時間半ほどかけて歩きました。
 城下町特有の堀内鍵曲や武家屋敷街をめぐり、松陰の弟子である高杉晋作の生誕地(生家)、同じく松陰の弟子である木戸孝允(桂小五郎)旧宅、藩の御用商 人を務めていた豪商・菊屋家などを見学の後、萩博物館へと向かいました。博物館内は1時間ほど各自自由見学としましたが、しばし冷房の中でくつろぐひとと きでもありました。

        高杉晋作生誕地(生家)にて

 バスに乗車し、車中で昼食を取りながら金子みすゞの故郷、仙崎へ向かいました。
仙崎はかつては北前船の寄港する港町として栄えた町です。さまざまな物品が流通され、商業的にも栄え、金子みすゞの実家も商店街で書店・金子文英堂を営 んでいました。金子みすゞ記念館はその生家跡に建てられ、隣には金子文英堂も再現されており、みすゞの暮らした部屋などを見ることができます。みすゞの部 屋は2階の、窓から賑やかな表通りを見下ろすことのできる明るい部屋で、整えられた机や書棚などから、いかに彼女が少女期に大切に育てられたかが窺えます。
 記念館には「幻の童謡詩人」みすゞが矢崎節夫氏によって見出され、18年の月日をかけて全集がまとめられるきっかけとなった遺稿、みすゞが実弟・正祐のために詩を書き残した三冊の手帳も展示されていました。

           金子みすゞ記念館・金子文英堂前にて

 優しくのびやかな、読む者の心に小さな灯を点すような詩と、みすゞの悲しい生涯を記念館で辿ったのち、記念館のボランティアの方に「みすゞ通り」やお墓がある遍照寺へ案内していただきました。
 天寿を全うできなかった者は無縁仏として葬られるという仙崎の習わしを聞き、みすゞの不幸を思い、一同、心がしんと静まりかえりました。

 仙崎の穏やかな海を後にし、今年の研修旅行のすべての行程が終了しました。
 帰路、バスの運転手さんのお心遣いでカルスト台地を通り抜けて山口宇部空港へと向かいました。予定通り19:45に全員無事に新千歳空港へ到着。みなさんお疲れさまでした!

 この研修旅行に関しては10月16日(土)、17日(日)開催された大学祭・藤陽祭において、口頭による研究発表と展示によって報告を行いました。また、参加学生全員にレポートを課し、『2010年度研修報告文集』にまとめました。なお、そのうち4編は「藤女子大学日本語・日本文学会会報」91号に掲載しました。

2010年05月24日2010年度更新のお知らせ

「スタッフ紹介」を2010年度版に、「卒業研究の紹介」を2009年度卒業研究にそれぞれ更新しました。

2010年04月01日ようこそ日本語・日本文学科へ

新しくなったトピックスでは、藤女子大学のホームページではお伝えしきれない日本語・日本文学科のイベントや最新情報をブログ形式で公開してまいります。

2009年09月28日2009年度 研修旅行のご報告

9月1日(火)~3日(木)、2泊3日で関西を訪ねました。

今年の研修旅行は留学生4名を含む30名の学生が参加し、引率は学科主任の種田和加子先生(近現代文学)、小山清文先生(平安文学)、教務助手の3名でした。
2006年度の研修旅行でも京都・宇治を訪ね、古典文学に関する研修を行いましたが、今回は前回とは少しコースを変え、京都のほかに近世の近松門左衛 門、近代の谷崎潤一郎や与謝野晶子といった作家たちゆかりの地を訪ねるなど、学生の多様な関心に応える研修旅行となりました。

1日目:9月1日(火)神戸市・芦屋市・尼崎市・堺市
1日目は神戸空港に到着後、まずチャーターバスで神戸市東灘区にある谷崎潤一郎旧邸・倚松庵を訪ねました。倚松庵は谷崎の代表作である『細雪』の舞台と もなっており、学生たちは作品世界との照らし合わせて興味深く見学している様子でした。    倚松庵見学後は芦屋市谷崎潤一郎記念館を訪ね、学芸員の方 の解説をお聞きし、谷崎文学の世界にとっぷりと浸かるひとときを過ごしました。

谷崎潤一郎旧邸・倚松庵にて

バスの中でのあわただしい昼食を済ませ、次に向かったのは尼崎市の近松記念館です。この記念館のすぐ隣には近松の墓がある広済寺があり、その一帯が近松 公園となっています。かつて広済寺本堂裏には「近松部屋」という六畳二間、奥座敷四畳半の建物があり、近松はここで著作したと伝わっていますが、記念館に は近松の使った文机や近松部屋の階段などが展示されていました。
次に見学したのは堺市にある与謝野晶子文芸館でした。堺は晶子が生まれ育った街です。展示では事前の勉強会で取り上げた晶子と童話の関わりなども紹介されており、11人の子供を産み育てた晶子の母としての側面を窺うことができました。
文芸館のあとは和菓子商であったという晶子の生家跡の文学碑を見学し、市役所の展望台から百舌鳥古墳群を眺め、宿泊先である京都へ向かいました。

与謝野晶子生家跡記念碑にて

2日目:9月2日(水)京都市

京都での見学は朱色の千本鳥居で有名な伏見稲荷大社から始まりました。空海の真言密教と関わりのある神社ですが、その後に見学した東寺(教王護国寺)も また真言密教東寺派の総本山であり、空海と深いかかわりのあるお寺でした。大きく荘厳な仏像や金堂・講堂・五重塔を眺め、当時における宗教のもつ意味の大 きさが肌で感じられました。

伏見稲荷大社にて

東寺にて

後醍醐天皇の第二皇子である空也上人によって開創された六波羅蜜寺では空也が念仏を称える口から六体の阿弥陀が現れた様子を現した空也上人立像を拝見し、御霊信仰と関わりのある八坂神社を見学したのち、昼食時間をとり一時解散。
午後は聖徳太子によって創建され、平安遷都以前からこの地にあったたとされる六角堂、平安京復元模型が展示されている平安京創生館を見学したのち太秦の地へ向かい、珍しい三柱鳥居のある蚕の社(木島神社)、聖徳太子建立七大寺のひとつである広隆寺を訪ねました。
広隆寺では国宝第一号である弥勒菩薩半跏思惟像を心静かに見入る学生たちの姿が見受けられました。

次に訪ねた仁和寺は『徒然草』で有名ですが、光孝天皇の御願寺として出発し、最初の門跡寺院となった寺院です。金堂や五重塔などの建築物もさることながら、美しい庭との調和が心に残りました。

仁和寺にて

足利義満ゆかりの金閣寺、菅原道真を主祭神とする北野天満宮、そして最後に陰陽師・安倍晴明を祀った晴明神社を見学し、2日目の行程はすべて無事終了しました。

3日目:9月3日(木)京都市・大津市

3日目はまず京都御所へ向かいました。京都御所では1時間の案内説明を受け、紫宸殿や清涼殿などを実際に見、平安の物語世界に思いを馳せました。
その次に訪ねたのは賀茂御祖神社(下鴨神社)。この賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)とを合わせた両賀茂神社には810年以降約 400年にわたり斎院が置かれ皇女が斎王として奉仕していました。昨年の研修旅行で訪ねた伊勢の斎王との関連から、2年生以上の参加者にとっては興味深い 神社であったようです。

賀茂御祖神社(下鴨神社)にて

下鴨神社を後にし、一路大津市の石山寺へ。石山寺界隈で昼食をとってのちの見学となりました。
石山寺は『石山寺縁起絵巻』にも描かれたように、紫式部が『源氏物語』の構想を思い付いたという源氏物語起筆伝説で有名な寺です。境内の「石山」の由来 でもある巨大な珪灰石の見せる景観は迫力があり、霊験あらたかな独特の趣きのあるお寺でした。ちょうど9月1日から開催が始まった「石山寺と紫式部展」を 見学し、源氏ファンの学生たちは心ゆくまで見入っている様子でした。

石山寺にて

そして行程の最後をしめくくる瀬田唐橋をバスの車窓から眺め、関西国際空港へと向かいました。
台風一過の晴天に恵まれた3日間でしたが、まだ夏そのものと言っていい関西の暑さと湿度に、学生たちはかなり体力を消耗したようでした。
過密なスケジュールのすべてを無事終えられたことは奇跡的とも言えますが、学生たちは充実した研修に満足した様子でした。

この研修旅行に関しては、10月17日(土)、18日(日)の大学祭・藤陽祭で口頭による研究発表と展示によって報告を行う予定です。多くの方々のご来聴をお待ちしています。
特に本学科への進学を考えていらっしゃる受験生の皆さんはぜひお越しください。
(※ 時間等の詳細は後日お知らせする予定です。)

2008年09月25日2008年度 研修旅行のご報告

9月2日(火)~4日(木)、2泊3日で三重県の伊勢・松阪方面を訪ねました。

今年の研修旅行は22名の学生が参加し、引率は山本綏子先生(近世文学)、揚妻祐樹先生(日本語学)、丸山隆司先生(古代文学)の3名でした。
伊勢は伊勢神宮をはじめとして古来日本の文化の要所であり、多くの文学作品にも描かれた場所です。また、松阪は蒲生氏の城下町として栄え、地の利のよさから商業の町として発展しましたが、近世の国学者・本居宣長や北海道の名付け親でもある松浦武四郎といった人物たちの知性を育んだ土地でもあります。
参加者は事前の勉強会によって予習をし臨んだ3日間でした。

1日目 9月2日(木)鈴鹿市・斎宮(三重県多気郡明和町)・伊勢市

1日目は、中部国際空港に到着後、チャーターバスで佐佐木信綱記念館、斎宮歴史博物館、二見浦の夫婦岩と二見興玉神社を訪ねました。お天気も良く、とても暑い1日でした。
最初に訪ねた佐佐木信綱記念館(鈴鹿市)では、国文学者・歌人としての作品はもとより、マフラーやメガネなど信綱の愛用品も間近に見ることができました。

佐佐木信綱記念館にて

斎宮歴史博物館(明和町)では7世紀後半から14世紀半ばまで続いた斎王制度の歴史を文献などの歴史的資料や王朝文学、斎宮跡からの出土品を見ながら学 びました。館内には当時の斎宮の食事や居室なども再現されており、斎宮群行の様子を再現した映像も観ることができました。また、学芸員の方が、皇女がどの ような気持ちで斎王となり、群行、帰京をしたのかを詳しく説明して下さり、みな熱心に耳を傾けていました。

斎宮歴史博物館にて

二見浦では夫婦岩・二見興玉神社を見学しました。二見興玉神社は猿田彦大神と宇迦御魂大神を祭神とする神社ですが、沖合約700m先に鎮まる興玉神石拝 するための神聖な鳥居としての役目を果たしている夫婦岩で有名です。夏至の日に岩と岩の間から昇る日の出を見れると良縁に恵まれるといわれているそうで す。

二見浦・夫婦岩をバックに…

2日目 9月3日(水)伊勢市

2日目は丸1日をかけて伊勢神宮(内宮・外宮、別宮)、神宮徴古館・農業館、猿田彦神社、おかげ横丁を見学しました。
伊勢神宮は外宮・内宮ともに広大な敷地で、別宮もふくめてすべてを回るのにはかなり時間がかかりましたが神聖な雰囲気が伝わり、その地からパワーをあたえられたように感じました。

伊勢神宮にて

神宮徴古館・農業館では、伊勢神宮や参宮の歴史、式年遷宮・神嘗祭といった神宮の行事などについて、また神宮と農業のかかわりなどに関する資料を見学しました。
猿田彦神社は古事記や日本書紀になどにも物事の最初にご出現になり万事もっとも善い方向へおみちびきになる神として記された猿田彦大神をお祀りした神社です。

猿田彦神社にて

おかげ横丁のおかげ座では江戸時代の伊勢参り=おかげ参りの様子や風俗が模型になっており、当時のおかげ参りの様子を詳しく知ることができました。

3日目 9月4日(木)松阪市

3日目はまず本居宣長記念館・鈴屋(宣長旧宅)を見学しました。
宣長記念館では学芸員の方が宣長という人物について説明してくださいましたが、事前の勉強会や本などを読んで理解していた宣長が、近世に生きる1人の学 者として生き生きと立ち現れたような気がし、新鮮な驚きを感じました。中でも、宣長が若かりし頃、架空の人物たちの家系図を考え書き著わした図が展示され ており、これは珍しい資料とのことで、一同大変興味深く見入っていました。また、普段は閉架している書庫にも入れていただくことができ、重要文化財である 写本・版本・版木などを間近に見させていただきました。大変貴重な経験をしたひと時でした。

本居宣長旧宅「鈴屋」にて

松阪城跡、御城番屋敷、松阪商人の館、宣長のお墓などを見学したのち、最後に見学したのは、「北海道の名付け親」でもある松浦武四郎の記念館でした。
武四郎が蝦夷地を調査した際の調査報告や紀行・地図などの出版物などが展示されていました。
すべての研修を終え、松阪から中部国際空港へは高速船で向いましたが、さすがに皆疲れが出たのか、眠り込む人もちらほらいたようです。
皆無事に新千歳空港に到着したの午後10時でした。

なお、研修旅行に参加した日本語・日本文学会の学生運営委員は、現在、10月18日(土)、19日(日)の大学祭で行う口頭研究発表や展示に向けて各自準備を進めています。
発表題目は10月上旬にHPにアップする予定ですので、関心のある方はぜひ大学祭へお越しください。本学・本学科を受験する予定の皆さんもぜひ足をお運びいただければと思います。

★今年度も参加者全員の研修レポートまとめた文集を作成する予定です。

2008年05月08日卒業論文題目

「卒業研究の紹介」ページの題目一覧を2008年度版に更新しました。

2007年09月21日2007年度 研修旅行のご報告

9月6日(木)~8日(土)、2泊3日で岩手を訪ねました。

今年の研修旅行は2日目の遠野で台風9号の直撃を受けましたが、1日目と3日目は思いのほかお天気がよく、とりわけ3日目は台風一過の快晴に恵まれました。
当初、台風の経路予測で8日の帰路の飛行機の欠航が予測され、不安な出発でしたが、天候の回復によって予定通り帰札することができました。

学生は21名参加。引率は本学科の関谷先生(近代文学)、平田先生(中世文学)でした。

1日目 9月6日(木) 花巻
花巻では宮沢賢治と高村光太郎の関連施設を訪ねました。
最初に訪ねたのは、いわて花巻空港のすぐそばにある花巻農業高校敷地内に復元された羅須地人協会・賢治先生の家です。宮沢賢治が花巻農学校退職後に自耕自炊の生活を送りながら、農業指導をし、農業芸術を説いた場所です。
事前の勉強会で読み込んだ賢治の作品やその人生に思いを馳せるひとときでした。

羅須地人協会・賢治先生の家にて

次に見学したのは、宮沢賢治記念館、イーハトーブ館、童話村の3施設でした。
記念館では作品に関する資料のほかに、賢治が愛用していたチェロやカルテット用にと賢治が設計した4面の譜面台など興味深い展示物に見入る姿が見られました。

宮沢賢治記念館前にて

午後は、降り出した雨の中、車窓からイギリス海岸を眺め、賢治の生家前を通過し、もともと羅須地人協会があった花巻農学校跡地に建つ、高村光太郎によって彫られた「雨ニモ負ケズ」の詩碑を見学しました。
そのあとは、高村光太郎記念館・高村山荘を訪ねました。
記念館では、彫刻家でもあった光太郎の作品や年季の入った日用品などを目にすることができ、大男だった光太郎の長靴の大きさには皆驚いていました。
また、晩年の光太郎が独居生活を営んだ山荘のわびしい佇まいに、それぞれが戦後の光太郎の心境に思いを巡らせました。

高村山荘・高村記念館周辺にて

その後、身照寺で宮沢家のお墓をお参りし、ぎんどろ公園で風の又三郎群像を見学しました。

風の又三郎群像にて

車窓から、賢治ゆかりのさいかち淵碑、地蔵堂などを見学し、花巻を後に・・・。
下の写真は1日目の宿泊先・遠野への途中にある、『銀河鉄道の夜』のモチーフになったといわれる、旧・岩手軽便鉄道(現・JR釜石線)の宮守川橋梁「めがね橋」(現在のものは改修後のもの)です。

めがね橋にて

2日目 9月7日(金) 遠野
この日は朝から台風9号の暴風雨に見舞われ、ビニールのレインコートを着込んでの見学となりました。
雨のため、屋外での見学が予定されていた山口の水車、デンデラ野、ダンノハナ、柳田国男が『遠野物語』を著すきかっけとなった佐々木喜善の家、早池峰山 古道跡は車窓からの見学となり、カッパ淵は増水のため、また、足場が悪いということで五百羅漢や続石も残念ながら見学を取りやめました。

暴風雨の中、千葉家曲り家にて

午前中は千葉家の曲り家、伝承園、とおの昔話村を見学し、午後は語り部・正部家ミヤさんによる遠野の昔話「オシラサマ」・「ザシキワラシ」などを聞いたのち、遠野博物館、遠野城下町博物館を見学しました。
この日の夜に参加学生全員に研修の感想を求めたところ、圧倒的に正部家ミヤさんの昔話が印象的で心に残った、との声が多く、暴風雨の中ではありましたが、その土地に長年生きてきたミヤさんの身体=声を通して、遠野の風土がそれぞれの心に深く刻まれた様子でした。

昔話語り部館にて、語り部・正部家ミヤさんを囲んで

3日目 9月8日(土) 平泉
前日までの暴風雨が嘘のように晴れ渡り、朝、宿泊地の一関から平泉へ向かいました。
平泉では、まず中尊寺を見学。汗をかきながら月見坂参道を登ってゆきました。
金色堂や宝物館では、奥州藤原氏三代の栄華に息を呑み、金色堂の趣向に、昨年の研修旅行で訪ねた京都の寺院などとの趣の違いを感じました。

中尊寺・金色堂にて

次に見学したのは源義経の居城跡といわれている高館・義経堂。北上川を眼下に眺めるこの高台には、芭蕉の「夏草や 兵どもが 夢の跡」の句碑もありました。

車窓から無量光院跡や柳之御所跡を眺め、平安浄土庭園の姿を今にとどめる毛越寺へ。
研修旅行では、「かつてそこに存在したもの」や文学者たちがかつてそこで、何を思い、何をしていたのか、といったことに想像力を働かせなければなりませ んが、これらの見学地、いわゆる旧跡といわれるところでは、とりわけ「かつてそこに存在したもの」に想像力を羽ばたかせる必要があります。皆、思い思いに イメージを膨らませることが出来たでしょうか…。

毛越寺にて

今年の研修旅行で最後に見学したのは、達谷窟毘沙門堂でした。もともとは悪路王などの蝦夷が塞としていた窟で、坂上田村麻呂がそれを征伐した後、毘沙門 天の加護を感じ、京の清水の舞台をまねて建てたものだといわれています。学生たちはその変わった景観に、惹きつけられている様子でした。

達谷窟毘沙門堂にて

研修旅行に向けて、参加者は4月から勉強会を重ね、その回数は延べ30回にも及びました。とくに夏休み前半は、ほぼ一週間、連日朝10時から午後4時ま で、熱心に宮沢賢治、高村光太郎の作品や柳田国男の『遠野物語』を読み込み、奥州藤原氏の歴史や見学する寺院の歴史について調べたことを報告する姿が見ら れました。議論も積極的に行われていた様子で、その甲斐があって、現地でも熱心に見学する様子が見受けられました。
現在は10月20日、21日の大学祭で行う研究口頭発表や展示に向けて準備を進めています。
また、今年度も参加者全員の研修レポートをまとめた文集を作成する予定です。