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石田 晴男

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石田 晴男 教授
Haruo Ishida


■所属学科:文化総合学科
■オフィスアワー: 木曜日Ⅲ・Ⅳ講時

専門分野

日本中世後期(室町・戦国時代)の政治・社会史

研究テーマ

①「室町幕府・守護・国人体制」 
②「惣国一揆」(加賀国一向一揆・紀伊国「惣国」・近江国甲賀「郡中惣」) 
③室町・戦国期の社会秩序

自己紹介

研究は主に、室町・戦国ですが、一昨年は若狭国の太良庄の史料を中心に授業をおこないました。演習では九条兼実の『玉葉』などの日記を読み、鎌倉時代の問題などについても考えています。

卒論のテーマは「紀州惣国一揆」で、「守護畠山氏と紀州『惣国一揆』」(『歴史学研究』448)に掲載され、『戦国大名論集』13巻に転載されています。 
大学院は東京都立大学で、修士論文では紀州の惣国一揆、山城国一揆、甲賀郡中惣を惣国一揆と概念でまとめたテーマで書きました。甲賀郡中惣については、東大史学会の『史学雑誌』(95-9)に掲載されました。その後、「戦国期加賀における『郡中』について」上・下(『仏教史学研究』31巻1・2 号)という加賀の一向一揆で論文を書きました。 
また、歴史学研究会の大会報告をおこない、「室町幕府・守護・国人体制と『一揆』」というテーマで、大会特集号(『歴史学研究』586)に掲載されています。また、『展望日本歴史』13巻の『戦国社会』にも所収されています。 
他に、「『天文日記』の音信・贈答・儀礼からみた社会秩序」(『歴史学研究』627)、「戦国期の本願寺の社会的位置-『天文日記』の音信・贈答からみた-」(講座『蓮如』3巻)を書いています。この二つの論文は内容的には続いているもので、表面には現れてこない、当時の慣行と秩序を明らかにする目的を持っていました。 
近年では、「近江国甲賀郡山中氏と『鈴鹿警固』-平安・鎌倉期の『橘家系図』の検討-」(『日本中世史の再発見』)で山中氏の系図について書きました。最近は論文の数が少なくなっていますが、一つは関心が室町・戦国から、平安末・鎌倉に移ったことと関連しています。先の山中系図の論文はその成果です。また一向一揆の研究状況には批判があり、それは「文明九年二月の中院通秀の『書状』について」(会報『加能史料』12)で書きました。 
2008年に『応仁・文明の乱』(戦争の日本史9巻 吉川弘文館)を出版しました。この本については、扱った一つの史料を読み誤っているという批判がなされています。反論はしておりません。その理由を述べます。批判者は、心ある読者であれば、自分の本を読んで参考にしたであろうとし、自分の本が参考文献として引用されていず、無視されたと言うところから始まっています。自分の著書をなきがごとく扱ったのは、「非常にまずいことであった」としています。しかし、批判者の著書を参考文献で引用しておりますし、本文中にも二度フルタイトルでも引用しております。批判は、書かれているものを書かれていないと主張する「非常にまずい」批判となっております。
また、批判者の著書を読んでも、何故応仁・文明の乱が起こったのか納得いく説明、経緯の説明は記されておりません。それに対し、参考にした家永遵嗣氏の論は説得的であり、関東を見据え、斯波氏を復権させた勝れた論であると考えています。批判者はテレビの「その時歴史は動いた」に出演し、社長が社内紛争の扱いを間違ったため応仁・文明の乱は起こったとしています。つまり応仁・文明の乱は畠山氏の内紛が原因であるという立場です。もちろんこれはテレビ放送であり、単純化しわかりやすく述べたもので、批判者の主張の全てが述べられているとは考えていません。そのこともあり、批判者に対して反論はしておりません。
なお、この本では、敢えて断ってはいませんが足利義教の暗殺の後の管領政治や、大和の情勢など新たな事実の指摘も含んでおり、オリジナルな視点・事実も入っております。全て家永氏の論を受け売りしているわけではありません。 
2010年10月20日に出版された、新行紀一編『戦国期の真宗と一向一揆』吉川弘文館に「『紀州惣国』再論」を書きました。これは卒論をまとめて「守護畠山氏と紀州『惣国一揆』」(『歴史学研究』448)にたいする諸氏にたいする反論を含んだもので、原稿用紙にして180枚前後のものになってしまいました。この論文で扱ったのは、紀州雑賀衆が織田信長に攻められた本願寺を支えた活動で知られる石山合戦期(1570年代半ば前後)ではなく、それ以前の天文初年(1530年代前半)を中心に扱っています。内容は簡単に述べると以下の通りです。「惣国」が雑賀衆だけではなく、室町幕府の奉公衆であった湯河氏との「一揆」であり、従って、「惣国」は「雑賀惣国」ではなく、「紀州惣国」として成立したことを主張しています。また、「紀州惣国」が成立する天文初年の在地の状況やその過程を明らかにしています。さらにその「紀州惣国」は、天文初年に下向した本願寺の一家衆となる興正寺と繋がりが深く、非門徒を含んでいながら、証如の葬儀に「紀州惣国」として関与していることを指摘し、本願寺との関係も検討しています。 
現在、あらたな論稿を準備しています。それは近江国甲賀郡の山中氏についての論稿です。これは、最近『甲賀市史』も発刊され、またこれまでの拙稿についての疑問もいくつかご指摘もいただきましたので、ご指摘に対し新たな知見を含め、私見を述べる予定でおります。

講義・演習

「歴史・思想」基礎演習B(1年、前期・後期[同一内容])

 日本史を学び、追求していくためには、文献史料を読んでいくことが不可欠です。日本史の前近代の史料は漢文で書かれています。高校で学んだ中国「漢文」より比較的やさしいですが、まず、高校で学んだ漢文の読み方の基礎を復習します。さらに「御成敗式目」の原文、書き下し文を読みながら、中世漢文になれていき、語法・語彙を学び、意味を考えながら、日本中世史料になれていきます。これらを通じて、2・3年次の演習の準備をしていきます。

日本史A=日本史入門A-a(1年、前期)

 高校までの人名、年代、事件などを憶える日本史とは違って、歴史とは何かという問題からはじめます。その上で古代史の著名な出来事、人物を素材に、異なる理解、評価が出てくるのかを考え、歴史の見方について学び、高校の教科書ではふれられていない問題を深めていきます。

日本史入門A=日本史入門A-b(1年、後期)

 教養科目の「日本史A」の内容をふまえて、主に中世から近世初頭の重要な出来事について、現在までの研究史上の諸見解を考えながら、中世史の基礎的な知識と、見方を学びます。

日本史特講A-c(2・3、前期)

  高校の教科書では、詳しく述べられていない中世後期の「嘉吉の乱」以後の京都を中心とした畿内近国の動向を、室町幕府内の動きと関連させて、「明応の政変」頃までを見ていきます。

日本史特講A-d(2・3年、後期)

  「明応の政変」から混乱した畿内の動向を整理する視点から、ほとんど高校の教科書に登場しない事件・人物について見ていきます。それを通じて、混乱と無秩序とみられがちないわゆる「戦国時代」における秩序について考えていきます。

日本史演習A-b(2・3年、通年)

 前期は、中世前期から後期に関する主要な論文の中から選んだ4本の論文をそれぞれ3回に分けて丁寧に読んでいきます。読むことを通じて基礎的な知識や、研究史、見解を知ることによって論文の読み方を学んでいきます。後期は鎌倉時代の九条兼実の日記である『玉葉』の寿永三年(1184)の日記を読んでいきます。一回に進む量は多くはありませんが、短い中で日記を読むことを通じて、日記を読む上で必要な基礎的な知識と、読み方を学んでいきます。

日本史卒業研究演習(4年、通年)

 それぞれの卒論のテーマにそって、関連する論文を集めて読解し、資料を収集して解読し、問題点を発見し、論を立て、最終的に卒業論文を仕上げていくための演習になります。

主な業績

主な業績

室町幕府の将軍(『歴史読本』763号 新人物往来社 2003年)
「応仁の乱展開図」(週間朝日百科17 『日本の歴史』朝日新聞社 2002年)
「蓮如」(『日本の歴史を解く100人』文英堂 1995年)
「守護領国制」(『中世史研究辞典』東京堂出版 1995年)
「中世の一揆の特徴は何か」「加賀国は本当に農民が支配したのか」(『日本の歴史を解く100話』文英堂 1994年)
「新視点 応仁の乱(畿内編)」(『歴史読本』619号 1994年)
「室町幕府と戦国大名はどんな関係にあったか」(争点『日本の歴史』4中世編 新人物往来社 1994年)
畠山稙長他『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社 1994年)
「土一揆の力」(『歴史地理教育』521 1994年)
「国人土豪について考える」(新視点『日本の歴史』4中世編 新人物往来社1993年)
「京・鎌倉府体制の崩壊」(『古文書の語る日本史』5 戦国・織豊 筑摩書房 1989年)
『綿考輯録』1・2・3(出水叢書 汲古書院 1988・1989年)
日本通史『歴史の曙から伝統社会の成熟へ』 ――原始古代・中世 山川出版社 1986年
「山城国一揆の研究史」(日本史研究会,歴史学研究会編『山城国一揆』東京大学出版会     1986.年)
年表(『図説日本文化の歴史』6 南北朝室町 小学館 1980年)

主な著書

『応仁・文明の乱』(戦争の日本史9巻 吉川弘文館 2008年)
『クロニック戦国全史』(講談社 1995年)共著
「享徳の乱と応仁の乱」『日本歴史館』(小学館 1993年)共著
『クロニック日本全史』(講談社 1991年)共著
「紀ノ川流域に根を張る宗教王国‐紀州惣国と根来・雑賀の鉄砲衆‐」『戦雲流れる西ひ がし』日本史の舞台6  集英社 1982年)

主な論文

「紀州惣国」再論(新行紀一編『戦国期の真宗と一向一揆』吉川弘文館 2010年)
「文明九年二月の中院通秀の『書状』について ‐額田庄で何が起こっていたのか、または「郡中」は本願寺の門徒組織か‐」(加能史料編纂委員会編『加賀・能登 歴史の扉』石川史書刊行会2007年)
「近江国甲賀郡山中氏と『鈴鹿警固』−平安・鎌倉期の『橘家系図』の検討−」(峰岸純夫編『日本中世史の再発見』吉川弘文館 2005年)
「戦国期本願寺の社会的位置 ‐『天文日記』の音信・贈答から見た‐」(講座『蓮如』第三巻 平凡社 1997年)
「『天文日記』の音信・贈答・儀礼からみた社会秩序」(『歴史学研究』627号 1991年)
「室町幕府・守護・国人体制と一揆」(『歴史学研究』588号 1988年。『戦国社会』展望日本歴史12巻に転載 東京堂出版 2001年)
「戦国期加賀における『郡中』について」上・下(『仏教史学研究』31巻1・2 号 1988年)
「両山中氏と甲賀『郡中惣』」(『史学雑誌』95編9号 1986年)
「山城国一揆の解体」(『信大史学』6号 1982年)
「守護畠山氏と紀州『惣国一揆』」(『歴史学研究』448号 1977年。戦国大名論集13『本願寺と一向一揆』に転載。吉川弘文館 1984年)